今、どこもアジサイが花盛りですね。
今日はらんらんバンコクはお休みです。
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「 敵 討 (かたきうち)」
吉村 昭 (新潮社)
たまたま、この本を読みました。
幕末のころ(1838年)の武士による敵討ちを題材にした本です。
吉村 昭(よしむら あきら)晩年の作品ですが、今日のブログはこの本についてではなく、吉村 昭についてです。
< 吉村 昭さんの思い出 >
吉村さん、と、“さん付け”にしたのは生前お会いしたことがあるからです。
私の住む市の図書館で吉村さんの講演があり、大ファンだった私は胸躍るような気持ちで聞きに行きました。
現れて演台に立つと、ひとこと「吉村です」と言い、すぐにその日のお話に入られたので驚きました。
こんにちは、とか、この市は初めてで、とか少しは前置きがあるかと思っていたのですが、「吉村です」だけでした。
その作風を思い、いかにも吉村さんらしい入り方だなあと思いました。
Wikipediaによると
「吉村昭は歴史小説では地道な資料整理、現地調査、関係者のインタビューで緻密なノンフィクション小説(記録小説と呼ばれる)を書き、人物の主観的な感情表現を省く文体に特徴がある」とあります。
つまり史実に忠実に小説を書いた、ということですね。
「彼ほど史実にこだわる作家は今後現れないだろう」と言われているそうです。
そんなふうに徹底した調査に基づいて書いた小説ですから説得力があります。
面白く制作されたTVドラマと違って、読みながら、ああ本当にこんなふうだったんだろうなあ、と思えます。
さらに吉村昭の小説はジャンルが広い。歴史小説(長英逃亡)から、熊の被害(羆嵐)、ボクシング(孤独な噴水)、海の遭難(破船)、戦記もの(大本営が震えた日)、土木工事(高熱隧道)・・・と驚くほどの広さです。これらの一作ずつ、そのジャンルを徹底調査して書いたことに驚きを隠せません。
さて講演に戻ります。
やはり史実と小説についてでした。
「ある小説の冒頭部分を30枚ほど書き進んだところで、その日の天候について新たな事実が判明したので、その30枚を処分して書き直しました」
「桜田門外ノ変」にも触れ
「小説の主人公を襲撃現場の指揮をとった関鉄之介(せきてつのすけ)にしたのは、鉄之介に多くの日記が残されていたからです。」
とにかく史実に基づいたことを書くのだ、というお話をされました。講演を聞いてから、吉村さんの小説を読む時の気構えが変わりました。
講演の後、厚かましいとは思いながらも控え室へ伺い、本へのサインをお願いしました。
私の本棚にはたくさん吉村さんの文庫本が並んでいますが
さすがに文庫本では失礼なので単行本を買って持って行きました。
吉村さんは「いいですよ、何と書きましょう」と気安く受けてくれました。
本にペンを添えて出したら「自分のがあります」と背広の内ポケットから筆ペンを出されて、日付けと名前を書いてくれました。(↓これはイメージ)
とても残念なことに、その本は引っ越しの際に紛失し手元にありません。
吉村さんはそれから2、3年後に79歳でお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りしております。