私は宗教を持っていません。
非難を恐れずに言うと、神も仏も私にはいないのです。
親族の一人が「神様でも仏様でも、何かにこうして手を合わせるというのはいいことだよ。」と諭してくれた事があって、私もそうは思います。
親しくしているお坊さん(ぐんちゃんではありません😊)からもそう諭されました。
映画などで「神よお許しください」「神に誓って」「神よお力をお与えください」とかの場面を見ると、宗教をもって信じることの強さを思います。
でも私はずっと無信心でここまで来ました。
だからお墓もいらないと思っています。叱られそうですが、死んだら心も体も消えていくのが希望です。
「私のお墓の前で泣かないでくださいー」という歌が流行った時、そうそう、それだ、千の風になって空から皆んなを見守りますよー。
涙が出るほどいい歌だと思いました。
(ただ、実家で墓を守ってくれている親族には申し訳なく思っています。)
* * *
Aさんのことを書きます。
Aさんとは仕事も趣味も同じ、出身校も同じで出自もよく似ています。
30代で知り合ってずっと家族ぐるみのお付き合いです。男性です。
仕事で一緒でしたから、まあ言えば戦友みたいなものでしょうか。苦しい事も共に乗り越えて来た感じ。
仕事以外で、共通の趣味を共にやりながら話をする時間も多くて、そんな時、死後のことを話すと考え方がよく似ていました。
✴︎ オレ、墓はいらない。
はい、私もいりません
✴︎ 死んだらそのまま消えて、忘れられるのがいい。
はい、私もそう思う
✴︎ 親族以外は連絡なしで葬式もいらん
はい私もそうして欲しい
✴︎ 仏壇も位牌も遺影も無しがいい
はい私もそれがいい
(Aさんは長男ではありません)
Aさんにガンが見つかりました。
Aさんは放射線治療を受けるために時々入院するようになりましたが、その合間をぬってやっぱり二人で趣味に励んでいました。
ある日、Aさんが嬉しそうに言いました。
「オレ、樹木葬にすることにして、申し込んできた」
えええっ!!??
墓いらないんじゃなかったの?
家から20分ほどの所にあるお寺が経営(?)している樹木葬だそうです。
近いしさあ、きれいだしさあ、二人分だと割安だっていうからうちのカミさんの分も申し込んできた。(奥様はお元気です)
アンタもこれにしろ、とその樹木葬のパンフレットをくれました。
ふーん、気が変わったの・・・
また別の日に
「オレ、仏壇作ったぞ」
部屋の一画を片付けて、そこには戒名らしきものを書いた手作りの位牌もありました。私達の趣味は木工なので材料には困りません。Aさんは達筆なので位牌には墨痕鮮やかに名前が書かれていました。
なんでまたこんなことを?
いやいや、オレが死んでもみんなには連絡するなとカミさんには言ってあるんだけど、どっかで聞いてやってくる人が必ずいる。
そんな時に何にもないとカミさんも困るだろ。こういう場所があると、手を合わせて一応お参りできるからさ。
はーそうですか、手作り仏壇ね、手回しのいいことで。
そしてAさんは亡くなりました。
私の前からもみんなの前からも消えていきました。
ものすごく悲しくてものすごく泣きました。
私は樹木葬の場所へも自宅の手作り仏壇へもお参りしていません。生前の約束でした。
もし私も余命宣告を受けるようなことになったら、Aさんのように気が変わるなんて事があるんでしょうか?わかりません。